B4UT代表を退任しました

こんにちは、N2です。

この度、東京大学音ゲーサークルB4UTの2022年度代表を退任しました。いろいろな方にお世話になった1年間でした。

B4UT一般部員としてはこれからもしばらく(何年?)在籍する訳ですが、ここまで3年間のできごとを残しておこうと思い、レポートに取り組む元気はないけど寝付けない夜にこの記事を書き始めました。あまり読みやすさとかは気にせず書いていますが、読んでもらえると嬉しいです。

 

〜入学

B4UTというサークルの存在を知ったのは、高校生のとき、Twitterに流れてきた大学祭のK-ShootMania展示の動画だった。1人で黙々とSOUND VOLTEXの腕を磨くような音ゲー生活をしていた自分にとって、大好きなゲームでたくさんの人がワイワイ盛り上がっているところはとても魅力的だった。これは音ゲーマーあるあるだと思うが、ボルテに誘ってくれた先輩も、たまに一緒にゲーセンに行っていた同級生も、高校生になる頃にはあまり音ゲーをやらなくなっていた*1

東大に入ったらこのサークルに入ろうと思った。受験直前には、B4UTのTwitterアカウントのツイートを眺めて、モチベーション維持に役立てていた記憶がある*2

 

入学・B1(2020年3月〜)

無事東大に合格した。

やっと始まる大学生活に胸を膨らませ……という気持ちは正直なかった。どうしても行きたい学科があったから、進振りでしっかり点を取らなきゃいけない。大学生活は、勉強と趣味だけに集中して、クラス単位の集まりだとかにコミットする気はさらさらなかった。当時の自分は、今振り返ってみてもだいぶ尖っていた。Twitterに鍵をかけ、「春から東大」のタグから同クラのアカウントを探し出し、フォローもせずに非公開リストに入れてたまにツイートを眺める、なんていう根暗ムーブをしていた。もちろん今はそのリストは消しているが。

さあ新生活が始まろうというとき、コロナ禍が始まった。「テント列」やら「オリ合宿」やらという、結局今でも何なのかよく知らないイベントがなくなった。入学式もなかった。ただ、一般的な「大学生活」に特に期待もしていなかった自分にとって、正直そんなにつらいことではなかった*3。サークル活動の影もないまま、生徒も教員も慣れないオンライン授業が進むなか、普通に勉強していたと思う。

確かTwitter上で新歓をしていたのだったと思うが、B4UTのDiscordに参加し、入部届を提出したタイミング(確か6月末ぐらいだった)でTwitterの鍵を外した*4。そんなとき、同クラ非公開リストから、音ゲーマーを見つけた。しかも自分よりボルテが上手い*5。狭い世界で生きてきたので、自分よりボルテが上手い同級生はいないだろうと思っていたからかなりびっくりした。勇気を出してフォローしてDMを送ると、すぐに一緒に遊ぶことになった。初めて大学でできた友人と音ゲーで遊び、受けている授業の会話をし、めちゃくちゃ楽しかった。早くB4UTの活動が始まってほしい、と思った。そういえば、当時は誰もが今我慢すればすぐに「日常」が戻ってくると思っていましたね。

秋になり、週に1回程度は登校するようになったことで、なんだかんだクラスに友人もできた。授業終わりにエムエムランドに行き、偶然B4UTの先輩と会ったこともあった。それでも、週1の登校とバイトくらいでしか家を出ることがなく、楽しい瞬間はあっても、平均的に見ればまあつまらない日々だった。せっかく鍵を外したTwitterも、B4UTの先輩たちとFFにはなっていたものの、まったく素性も知らない人に絡みにいくのは、少なくとも当時の自分には厳しかった。そんな訳で、正直あまり帰属意識も高まらなかった。

年が明けた頃、執行代募集の告知が流れてきた。B4UTでは主にB2/B3がサークル運営をやっており、新B2の枠の募集だった。ちょっと迷ったが、応募してみることにした。一番の理由は、そろそろ人との関わりがあった方がいいかなと思い始めたことだった。浪人仲間で同じ年に入学した高校同期は部活が始まって忙しそうにしていたのに、自分は大学にギリ友達と呼べる人が数人いるだけだったので、少し焦りもあったのかもしれない。とにかく、B4UTで何かの役職があればもっとB4UTの人と仲良くなれるかな、という期待からだった。

当時知ってる(面識はない)B4UT同期なんてほとんどいなかったので、執行代やる人なんているのか?と思っていたが、自分を含め3人が新執行代として集まり、自分は渉外を担当することになった。Discordで代替わりが告知されてすぐにTwitterをフォローしに来てくれた人がいたときには既に、応募してみてよかったと思った。

春休みに入り、執行代としての初めての仕事は、駒場キャンパスで新歓用の立て看板を作ることだった。ここで初めてB4UTの同期と顔を合わせ、終わった後にゲーセン*6に遊びに行った。初めてCHUNITHMをやったのもこの日だった記憶がある。すぐに仲良くなり、Twitterでも絡むようになった。本当に、執行代になって良かったと思った。

 

B2(2021年2月〜)

年度が明けても、「不要不急のサークル活動」ができるような情勢にはならなかった。特に変わらない生活のまま、夏休みを迎えた。9月のオンライン都では、少しだけ運営の手伝いもしたが、当時はおうち音ゲーをやっていなかったので参加できなかった。経験のいらない音ゲー以外の部門もあったが、そもそも社交的でない自分には、わざわざやったことのないゲームで人と交流しようなどとは思えなかった。

同じ頃、ようやく進振りが終了し、ギリギリのところで第一志望の学科に内定した。自分の中では、このときやっと受験が終了したくらいの気持ちだった。世の中的にも、そろそろ「日常」を取り戻そうという風潮になっており、そろそろ大学生活を楽しんでいきたいな、と思い始めた。

10月に入り、東大のコロナ対応の警戒レベルが下がったことを受け、当時の代表から部内戦開催が提案された。部内戦での店舗貸切は渉外の仕事ということになっていたので、主に自分が運営として動くことになった。候補日は12月中旬か2月上旬あたりということになり、部員向けの日程調査も踏まえた結果、12月中旬の土日に行うことになった*7。実に1年9ヶ月ぶり(らしい)部内戦で、自分にとっては初めての部内戦……どころか、初めてのB4UTでのオフイベントだった。ここまで特に大したことをしていなかった自分に、部内戦の運営という大役が降ってきた。参加したこともない、顔も知らない人が大勢参加するイベントを、取り仕切ることになった。

前回の部内戦で使用したスプレッドシートが残っているし、実際に前回の部内戦を運営したのが当時の代表だったので、何をしていいかまったくわからない……ということはなかった。それでも、実際に参加して、参加者がどんな部内戦が楽しいのかという根幹の部分が見えないと、苦労することも多かった。それに、この部内戦の場合には、感染対策を両立させる必要があった。誇張抜きで一晩中、8時間くらい頭を捻って、なるべく店に人が多く集まりすぎないタイムテーブルを作ったのをよく覚えている。

何とか準備を済ませ、迎えた部内戦当日。2日ともずっと忙しかったが、Twitterでしか見たことない人にたくさん会うことができた。試合を観戦しながら、たくさん音ゲーの話もできた。自分の試合の結果は散々だったが、間違いなく大学に入ってから一番濃密な2日間だった。B4UTという場所が大好きになり、代表を務めるモチベーションも湧いてきた。

ほどなくして、2022年度の代表を務めることが決まった。

 

B3(2022年2月〜)

これまでB4UTに2年間所属してきて、イベントというイベントは部内戦だけだった。いや、もう少しコミットの仕様はあったのかもしれないが、自分にはできなかった。やはり、顔を合わせる機会がないと完全に打ち解けることはできないと思った。代表になり、ようやく世の中が元の生活を取り戻そうとし始めた今すべきことは、オフラインの活動を再開していくことだと思った。再開、と言っても、コロナ禍前に何をしていたのか知らなかったから、とりあえず、B4UTのGoogle Driveに残っていたかつての会合議事録を片っ端から読んでみた。なるほど、かつては個人単位で小さめの大会や企画が高頻度で主催されていたらしい。そこで、特にコロナ禍前からB4UTに所属していた先輩たちから企画を出してくれることを期待して、Discordに大会や企画を提案する専用のチャンネルを作ってみた。蓋を開けてみると、あまり使われることはなかったのだが……。

4月になり、ようやく毎日登校するようになった。同じ学科の友達ともよくしゃべるようになり、生活もだいぶ明るくなった。自分の中では、ここまで来てやっと、気軽に人を集めることへのハードルが下がった瞬間だった。

そんな時期に、新歓の準備を進めていた。もちろん、2020年・2021年に入部した執行代は、誰も新歓活動を経験していない*8。手探りで新歓用の企画を作っていった。なかでも、スマホ音ゲーメインの層が多いことを踏まえて、大学内の一室で集まってスマホ音ゲー交流会を開いた*9のは、かなり好評だったと思っている。オンラインにせざるを得なかったが例年通り新歓会合を開催し、家庭用音ゲーでの部内戦も初めて開催してみた。

6月になると、共用部屋の人数制限が緩和され、人を集められるようになっていた。そこで、コロナ禍以前は月1(?)程度行われていたらしい、オフラインの「会合」を開いてみた。……と言っても、自分はもちろん参加したことがない。とりあえず人を集めて、自己紹介をして、ちょっと連絡事項をしゃべって……みたいな感じで進めた。「こんなんでいいのか……?」とは思いつつ、会合後にみんなでゲーセンに行き*10、飯を食べに行くという、コロナ禍によってハードルが上がってしまったイベントの機会を作れたのは良かったと思う。段々参加者が減っていき、来てくれるメンツも固定化していったが、2ヶ月に1回、3回ぐらいは開催した。会合という場で、頼れる後輩たちが遊ぶ人を集めるDiscordチャンネルの設置や、AC音ゲーの部内戦の開催を決めてくれたこともあった。

9月には2年半ぶりのオフライン都、11月にはAC音ゲーの部内戦も開催した。他サークル含めいろいろな人と遊んだ。ようやく戻ってきた「日常」という非日常が、本当に楽しかった。自分がほとんど運営に関わらなかった11月の部内戦を、後輩たちが完璧に運営しきっていた姿を見て、手探りで部内戦を運営したところから始まった自分のB4UT執行代としての役割が、終わったような気がした。

 

おわりに

いかがでしたか?

こう書いてみると、それほど何も為せていないのかな……と思ったり。結局最後まで、何をすべきなのかよくわからなかったし、以前の活気を取り戻せたのかわからない。でも、コロナ禍という文化系サークルへの激しい逆風のなか、後輩たちに良いバトンを繋ぐことはできたんじゃないかと思っています。まあ、80点ぐらいかな*11

最後になりますが、B4UTや他大音ゲーサークルの皆さん、特に企画したイベントに参加してくれた方々や、適当にゲーセンに人を集めたら来てくれた暇人の方々をはじめ、関わったすべての方に感謝します。本当にありがとうございました。これからも仲良くしてください!

*1:今バリバリ繋がりのある高校同期音ゲーマーは複数いるが、当時はあんまり繋がりがなかった

*2:こういうことを書くのもアレだが、自分は現役時に僅差落ちで、成績的には余裕があったので、浪人中はメンタル面だけが大変だった

*3:一番つらかったのは、受験後の楽しみだった麻倉ももさんのソロライブが中止になったことだった

*4:余談だが、このときもともとフォロワーだった高校同期から「このいいね欄晒すのか……」みたいなことを言われた(えっちな絵をいいねしていたので)。でも鍵外してからフォローした人はそういう人ばっかりだった

*5:クラスの女子の人数と後光暴龍天の人数が同じ、みたいなことになっていた

*6:このときにはもうエムエムランドはなくなってしまっていたが……

*7:このとき、顧問の先生から、感染者数が落ち着いている今のうちにさっさとやってしまった方がいいと助言をいただいた。実際、年が明けると感染者数が急増していたので、先見の明だった

*8:何なら自分は、「なんか気づいたらこのサークルにいた」ぐらいの気持ちだった

*9:思いついたのは自分ではなく、Twitterで見た誰かのツイートだった。ありがとうございました

*10:エムエムランド……

*11:労っていただけるならこれを投稿したツイートにいいねでも押してください。喜びます